「就活の教科書」編集部 野口

赤尾 充哉(Atsuya Akao)
東洋学園大学 現代経営学部 教授
慶應義塾大学卒業。慶應義塾大学大学院後期博士課程を単位取得退学。関東学院大学を経て現職。専門は経営管理、組織理論、経営学説史で、組織論と戦略論にまたがる領域を研究している。近年は生成AIをテーマにした研究にも取り組む。学生時代からの音楽活動を続けながら、大学教員として教鞭を執る。
目次
東洋学園大学 赤尾充哉教授にインタビュー①:ダイナミック・ケイパビリティ論とは
過去の成功体験を疑い、変化し続ける
── さっそくですが、赤尾先生のご専門である「ダイナミック・ケイパビリティ論」について教えていただけますか。就職活動やキャリアデザインにどのように活かせるのでしょうか。
赤尾先生: 「ダイナミック・ケイパビリティ論」は、一言で言えば「どうせ真似される」という厳しい世界観を前提にした戦略論です。ビジネスの世界では、何か新しい画期的な手を打っても、競合他社にいつかは真似されてしまいます。真似されていない間は儲かるかもしれませんが、真似された瞬間にその優位性は失われ、儲からなくなってしまう。そう考えると、私たちは「次々と新しい手を打ち続け、自分自身も常に変わり続けなければならない」ということになります。
ただ問題なのは、企業も個人も「そう簡単には変われない」ということです。これをキャリアや就職活動に置き換えてみましょう。皆さんが就職や転職を考えるとき、無意識のうちに「自分の得意なこと」や「これまでやってきたこと」をベースに選択肢を選んでいませんか。
── 確かに、「自分の研究や強みを活かせる仕事」を探す学生も多いですよね。
赤尾先生: ええ、それは当然の心理ですし、その方が成功する確率が高いのも事実です。しかし、何も考えずに自分の得意分野の延長線上だけで生きていると、実は自分の可能性がどんどん閉じていってしまうんですね。
20代や30代は、今までの経験を活かしたプラスアルファで転職もできるでしょう。しかし、40代、50代になったときに「自分にはこれしか得意なものがありません」という状態になってしまうと、時代の変化に対応するための「次の手」が打てなくなってしまいます。
過去の経験を活かしつつも、それに縛られず、まだ見ぬ将来に向けてどのような戦略を立て、自分をどう変化させていくべきか。これがダイナミック・ケイパビリティ論の核心であり、個人のキャリアデザインにも深く関わる部分なのです。
成功体験は捨てられないから意識して外す
── 企業や個人が、これまでの成功体験(ルーティン)を破り、変革するためにはどうしたら良いのでしょうか。
赤尾先生: 一般的なビジネス書などでは「過去の成功体験を捨てろ」「ルーティンを破れ」と簡単に言われますが、私の研究から言わせてもらうと「ルーティンや成功体験は変えられないし、捨てられない」というのが結論です。
人間は、自分が積み上げてきた過去の時間をないことにはできません。それを捨てろと言われても、今までの人生は何だったのかということになり、精神的に辛くなってしまいます。私だって、この年齢になっても「自分はあの麻布高校を出ているんだ」「慶應で12年経営学をやってきたんだ」というプライドや成功体験は捨てられません。それがないと自分を保てなくなってしまいますからね。
── 捨てられないとすれば、どうやって新しい変化を生み出すのですか。
赤尾先生: 捨てられないからこそ、「意識して、今までとは全然違うことをやってみよう」とする姿勢が重要になります。そうやってできることの幅を増やしていくんです。
私が学生によく言っているのは「できるだけバカになる」ということです。賢く、論理的に考えようとすればするほど、人間は「今のやり方が一番正しい」という結論を導き出してしまいます。だから、あえて論理的な思考を外し、「これをやってみたら面白いんじゃないか」という直感に従って、とりあえずやってみる。うまくいくかどうかを気にせず、今までの考え方の枠を外してみるというマインドが、変化の第一歩になります。
「自分はこういう人間だ」という思い込みが可能性を狭める
── 考え方の枠を外すというのは、なかなか難しそうですね。
赤尾先生: 多くの学生を見ていて思うのは、「自分はこれが得意だからこれしかやらない」「自分は文系だから向いていない」と、自分で勝手に思い込んで生きているということです。勝手な思い込みのせいで、最初から人生の選択肢を捨ててしまっているんですね。
実は私自身、33歳で経営学の大学教員になったのですが、その数年後、40歳手前くらいのときに帝京大学の理工学部の通信教育課程に入学して、学部生として情報科学の勉強を始めました。大学の教員をやりながら、自分の博士論文を書きながら、同時に大学生をやっていたわけです。同僚からは「お前の中には何人人間がいるんだ」と言われました(笑)。
── なぜ、経営学の教員でありながら、あえて理系の大学に入り直したのですか。
赤尾先生: 子供の頃を思い返してみると、私はSF小説が大好きでしたし、生き物も大好きでした。大人になってからも、数学のパズルを解くようなことがずっと好きだったんです。それなのに、「自分は文系だ」と思い込み、理系の勉強を完全に切り捨てて生きてきました。
ある瞬間、「あれ、本当は理系なんじゃないか?」と思ったんですね。そう気づいたとき、勝手な思い込みで学ぶ機会を捨てていたことが、ものすごくもったいないことに感じられた。だから、理系の大学に入り直して勉強を始めたんです。
── 自分のこれまでの専門や得意分野から、一度目をそらすことも必要なのですね。
赤尾先生: もちろん、他者と関わり、協力して何か大きなことを成し遂げるためには、自分の部品としての「強み」や「専門性」は必要です。例えば、闇鍋を作るときに「私はキムチを持ってきます」という具材としての強みは大事です。しかし、キムチを持ってきたからといって、鍋全体の味をキムチ鍋にする必要はないわけです。カルボナーラ風の鍋にキムチを入れた方が面白いかもしれない。「自分はこれしかできない」と思い込まずに、自分の強みを一つの部品として捉え、他の領域とどう組み合わせるかを自由に考えれば良いのです。
若い人たちには、「自分の得意なんて、自分が勝手にそう思っているだけだ」というくらいの気軽さを持ってほしいですね。全然別のことの方が向いているかもしれないし、色々やった方が人生が楽しくなる可能性もあります。
転職などで今までのキャリアを一旦離れることがあっても、それまで培った経験は自分の中から無くなりません。気軽に新しいものに飛び込み、自分の幅をどんどん増やしていけばいいのです。
東洋学園大学 赤尾充哉教授にインタビュー②:AIはクリエイティブな「仲間」
過去の積み上げを超えて、新しいものを生み出す議論
── 先生は近年、AI(人工知能)に関する研究もされているそうですね。
赤尾先生: 実は、AIの歴史を紐解くと、1960〜70年代に最初にAIの基礎を作ったのは経営学者たちなんです。彼らにとって、組織もAIも「人間が作った道具」という位置づけであり、本質は「人間はバカだけど、どうすれば認知能力を高められるか」という認知科学の探求でした。組織という装置を使うのか、AIという装置を使うのかの違いに過ぎなかったわけです。
最近の私は、現在の主流である「生成AI」の研究をしています。ChatGPTなどに使われている「トランスフォーマー」という仕組みは、人間が物事の「気になるところ(注意・焦点)」だけを見ている性質をうまく真似したものです。しかし、これだとインターネット上にある人間のデータの「劣化コピー」しか作れないという問題があります。これでは面白くないのです。
私が関心を持っているのは、あえてデータにノイズを加えて偽物を作り、それを見抜くプログラムと競い合わせながら学習していく仕組み(GAN:敵対的生成ネットワーク)などです。これによって、機械が単なるコピーではなく、人間のように「元々なかった新しいものを生み出し、それを評価する」というシミュレーションが可能になります。
── 「過去のデータに囚われず、新しいものを生み出す」という点が、先ほどのダイナミック・ケイパビリティ論の「過去の成功体験に縛られずに新しい手を打つ」という話と繋がってくるわけですね。
赤尾先生: 過去に積み上げてきたこと、人間がうまくやってきたことだけに頼っていると、新しいものは生まれません。AIの分野でも、経営組織の分野でも、私はまったく同じ議論をしているつもりです。
私は自分で音楽を作っていますが、音楽業界以外では周囲に音楽を作れる仲間はそんなに多くありません。もしAIがクリエイティブな音楽を自ら生み出せるようになれば、私にとってAIは便利な道具ではなく、一緒に創作を楽しめる「音楽仲間」になります。世の中がもっとクリエイティブになり、物を作る仲間が増えていくような、そういうポジティブな道具としてAIを捉えています。
AIに仕事が奪われる? 本質は「富の分配」の問題
── 世間では「AIに仕事が奪われる」という不安が強いですが、この現状についてどう思われますか。
赤尾先生: そもそも人間は、自分が楽をするためにテクノロジーを発展させてきたわけです。面倒な仕事、淡々とした作業は、AIが全部奪ってくれた方がいいと考えています。「どうぞ、私の仕事を奪ってください、自動化してください」というのが本来の豊かな世界のあり方です。
では、なぜみんながこれほど不安になるのかというと、それはAIの問題ではなく、現代社会の「富の分配」の仕組み、つまり資本主義の問題なんですね。資本を持っている人、AIを所有している人は、AIに働かせてどんどん豊かになります。一方で、何も所有していない普通の人は、自分の労働力を切り売りして稼ぐしかない。仕事が奪われると、稼ぐ手段がなくなって生きていけなくなる。だから不安になるわけです。これは経済的な分配のやり方が今の時代に追いついていないという歪みが、AIによって露呈しただけだと私は見ています。
事務職は「過酷な社内サービス職」
── AI時代でも事務職が人気です。「楽そう」という理由で事務職を選ぶ傾向についてはどうでしょうか。
赤尾先生: それは学生たちの「勘違い」ですね。社会に出れば分かりますが、事務職は「スーパーサービス職」です。しかも、よそのお客様を相手にするのではなく、自社の社員を相手にする「社内サービス職」なんです。営業職であれば、取引先のお客様と関わるのは月に数回程度ですし、他人の関係ですから、お互いに一定の礼儀を持って接します。
しかし、社内サービスの相手は、毎日自分の隣にずっと座っている身内の人間です。身内であるがゆえに、事務職に対する要求や期待には「際限」がありません。外に出て飛び込み営業をするよりも、身内から厳しい要求やプレッシャーにさらされ続ける方が、人間関係としてはよほど大変なサービス業だと私は思います。
事務職というのは、相手のニーズを先回りして読み、サポートすることが本当に好きな人には向いている仕事です。しかし「楽そうだから」という消極的な理由で選ぶと、入社した後に「こんなはずじゃなかった」と苦しむことになります。その実態は、授業でもいつも伝えているところです。
就活生へのメッセージ「やりたいことを仕事にするだけが正解ではない」
── 最後に、これから社会に出ていく就活生に向けて、メッセージをお願いいたします。
赤尾先生: キャリアを選択していく上で、一つだけ強くお伝えしたいことがあります。それは「自分がやりたいと思ったことは、絶対に中途半端にせず、最後までやり切る」ということです。
結果的にそれが成功しようと失敗しようと、どちらでも構いません。重要なのは、やり切ったという実感です。途中で投げ出してしまうと、後になって必ず「あの時もっとやっておけばよかった」と自分自身に文句を言いたくなります。自分の決断に言い訳をしないためにも、やりたいことには全力で向き合ってください。
そして、キャリアの考え方には大きく分けて2つの道があることを知っておいてください。一つは「やりたいことそのものを仕事にする」という道。もう一つは「やりたいことを続けるために、稼ぐ手段として仕事をする」という道です。
最近の若い人たちは、自分の好きなアイドルや趣味を応援する「推し活」を大切にしていますよね。しかし、推し活そのものでご飯を食べていくのは現実的に不可能です。であれば、「推し活を存分に楽しむために、休みが取りやすく安定して稼げる仕事を選ぶ」というのも、立派で賢い選択肢です。
私の人生も、計画通りにいったことなんて一つもありませんでした。高校時代は心理学を志すも受験に失敗して2浪し、最終的には数学の知識を活かして予期せぬ経営学の道へ進みました。大学入学後は本気でミュージシャンを目指して作詞作曲にのめり込んだものの、バンドの人間関係で行き詰まり、音楽の世界で居場所を完全に失ってしまったんです。
そこから「学問の道へ進む」と覚悟を決めて勉強し、33歳で大学教員になりました。さらに教員になってからも「実は理系かもしれない」と思いたち、40歳手前で理工学部の通信課程に入学して情報科学の勉強を始めるなど、常に「次の手を打たざるを得ない状況」の連続でした。 心理学の挫折、音楽の挫折、そして文系という思い込みの破壊──こうした紆余曲折があったからこそ、研究している「変わり続けなければ生き残れない(ダイナミック・ケイパビリティ)」という考え方が、自分自身の人生の実感としても非常にしっくりきているんですよね。
「やりたいことを仕事にしなければならない」という固定観念に縛られる必要はありません。自分が本当に大切にしたいことを貫くために、自分にとって賢い働き方は何なのか。そのような視点を持って、柔軟にキャリアをデザインしていってほしいと願っています。
「就活の教科書」編集部 野口

